弁護士Cozy尋木です。
今回は、「民事訴訟法とHR/HMの関連的考察」というテーマで、話をさせて頂きます。

法の歴史は、裁判の歴史であり、「社会あるところに法あり(Ubi societas ibi jus)」という法諺は、
社会→紛争→裁判→法という密接且つ必然的な関連性を表現するものに他なりません。
裁判手続の中で最も生活に身近な民事的紛争の手続を規律するのが民事訴訟法です。

人が集まる場所(社会)には必ず紛争が発生します。
人の欲望は多様且つ無限であるのに対し、利害を異にする他人との間で
その意思を全く自己の思うがままに支配することは不可能だからです。
そこで、社会に生起する紛争解決は、その社会のおける必然的課題となります。

 

人の集まりであるバンド内で紛争が発生することも決して珍しいことではなく、
その紛争解決は、バンドの存続上必然的な課題です。

フィンランドのシンフォニックメタルバンドのナイトウィッシュにおいて
度々惹起するボーカリストの脱退騒動は有名です。

通常、バンド内の紛争騒動は、メンバーの脱退で明快に収束するはずですが、
同バンドは、初代ボーカリストのターヤ・トゥルネン脱退後の2007年に発表した6枚目のアルバム
「Dark Passion Play」の2曲目に収録された「Bye Bye Beautiful 」の歌詞の中に
ターヤへの恨み辛みを刺激的に書き綴るという行動に出て世間を驚かせました。

尚、ターヤの後任ボーカリストとして加入したアネッテ・オルゾンもメンバーとの軋轢が修復不可能となり、
2012年10月1日、ツアー中に脱退し、そのゴタゴタの一部始終が後日DVDで発売されています。

自らのバンドの紛争を敢えて引きずり、紛争を商業的に利用するという
「転んでもタダでは起きない」経営センスを持ったバンドといえます。

 

ところで、現在でも、アフリカの原始的集落社会においては、紛争が発生した場合に、
宗教や呪術と結びついた酋長、長老による裁判方法が実践されていますが、
「近代資本主義社会」では、このような宗教や呪術と結びついた
往昔の非合理的な裁判方法はありえないことは勿論、かつての王朝国家や未成熟な国家に見られるような、
偶発的・恣意的な要因によって内容が決まる裁判も忌避されます。
資本主義社会において経済活動を行う者にとっては、裁判内容の予測可能性が切実に要請されるからです。
裁判は、予め国民の確知できる状態におかれた法規に従い、
予測可能性の範囲内での内容で行われることが必要であり、これを前提として、企業家は
将来のあらゆる事態における法の保障を確実にその資本計算の中に織り込むことが可能となります。

将来において紛争が生じた場合に、裁判がどう転ぶか全く予想がつかないということでは、
継続的な企業活動は困難となり,特に長期的・計画的な資本投下は極めて危険なものとならざるを得ません。

 

かつてのレッドツェッペリンやディープパープルといったバンドのライブにおいては、
ジミーペイジやリッチーブラックモアによるバンドのギタリスト主導の偶発的・恣意的な
インプロヴィゼーション(即興演奏)により全く予測不能なステージが繰り広げられ、
演奏時間が4時間を超えるケース(1971年大阪城フェスティバルホールでのレッドツェッペリン)や
楽器破壊活動によりステージ上が煙と火の海と化したケース
(1974年カリフォルニアジャムでのディープパープル)もあり、
主催者側を慌てさせたというのは有名な話です。

最近は、予定調和というか完全に主催者側との契約によりコントロールされたライブが大半であり、
「どう転ぶか全く予想がつかない」といったHM/HRライブの醍醐味は無くなって来たのが残念な気がします。

少し以前に経験した唯一の例外ですが、セカンド・アルバムにレッドツェッペリンの
ジョン・ポール・ジョーンズをプロデューサーに迎えた影響かどうかは別として、
ニュージーランド出身のハードロックバンドであるダットサンズが、
2004年の渋谷オンエアイーストでのライブでテンションの上がりきったメンバーが
アンコールで披露する楽曲数ではないだろうという
多数の楽曲を60分近くアンコールで展開したというケースがありました。

なお、同バンドは、前年の新宿リキッドルームでのライブでも
最後にドラムセットを含む楽器類を破壊して退場しています。

最近、名前をあまり聞かなくなってしまいましたが頑張って頂きたいものです。

以上

ジャスティス